これから書く内容については学術的・文部相的には日本の正式な歴史としては書かれていない内容です。

今記事は、下記の「CGS」の動画を元に管理人が個人的見解も交えて書いています。

古墳はお墓ではない?

古墳がお墓である説が間違いという説がある。

日本で最も大きな古墳である「仁徳天皇陵」。その大きさはクフ王のピラミッド・秦の始皇帝陵などの大きさと肩を並べる大きさで世界三大墳墓。

その世界三大墳墓という事実が根底からひっくり返ってしまう説という事になります。

 

古墳では無いという根拠は、「灌漑工事・かんがいこうじ」をした際の開墾の残土を盛り上げたモノが現在の古墳だという。

灌漑工事は開墾をして田んぼを作ること、つまり平らに整地したり、水路を作る際にでた残土が出る。

 

その残土を積み上げたままだと、水害になるような大雨の時に危険なので周囲を固めたり、四角に土を固めたものだという。

四方を板で押さえて固めるのが形状的に最も簡単。だから台座の上に円墳が乗っていたり、四角と丸の結合した様な前方後円墳や円墳が存在するという説。

 

確かに、仁徳天皇陵古墳の規模の盛り土を当時したとしたら気が遠くなるような時間と人員が必要でしょう。

これを、「墓」を作成するためだけに行ったと考えるのは少し不自然さも感じれなくはないかもしれません。

仁徳天皇は、土木の天皇の様な方だったそうで非常に多くの田んぼを開墾したそうです。

 

田んぼが増えれば、当然「米」が多くの国民に行き渡ります。

これに感謝を意を込めて、「仁徳」という敬意を込めた名前を付けている伝説が実際に存在しています。

学術的に正式な説ではないので、前置きは必要でしょうが実に素直に頷ける古墳時代の説なのかもしれませんね。

古墳が消えた理由

古墳は西から東に向かって年月ともに移動し、巨大化した経緯が歴史的根拠に基づいて立証されています。

ところが、ある時を境に古墳自体が無くなりました。

これにも、「謎」が残ります。

 

教科書で教えられる、「豪族の勢力の大きさ」を表したものだとすれば、それ以降は豪族が存在してはおかしい。

なるほど、先ほどの説をここでも当てはめると合点がいきます。

田んぼを作った際の残土を盛り土したものが古墳だとすれば、

水路が必要な田んぼには「船」が通行できるようになるとも考えることができます。

 

残土は堤防工事などにも使用できますので、古墳を作らず、あるいは解体をして別の工事に使用した為に古墳が消えた。

という仮説が動画内でも説明されています。

記紀は古代日本人からの贈り物である

日本書紀と古事記は「記紀」と呼ばれていて、最古の歴史書と言われています。

中には神話と史実の両方が書かれていたといいます。

つまり、日本は神話の伝説もあるし実際はこうだよと書いていたわけです。

戦前までは「国史」という授業が教育課程にあったそうです。

 

当時の古代日本人学者が集結して、一語一句まで紡いだ書が「記紀」です。

完成までに40年という歳月が使われたのだそうです。

戦後にGHQにより教育方針の変更の指示があり、以前の姿を知る人は少ないですが、日本人のルーツは「記紀」に記されているのかもしれませんね。